経歴
幼少時、母親が32歳の若さで病没した後、父親とその再婚相手のいる家庭で育つ。
東京都立府中高等学校卒業。 東京芸術大学を受験するが不合格となり、その後東京デザイナー学院グラフィックデザイン科卒業。学生時代からポスターその他広告媒体をデザイン・制作するアルバイトに励む。
1971年、自由劇場の舞台を見て俳優を志願、同劇団に入団し研究生となる。1年で退団し、イッセー尾形とともに劇団「うでくらべ」を結成するが、半年ほどで解散。
その後結婚したが、劇団の収入では生活出来ないこともあり、26歳の時に宝石販売会社に入社した。
1977年に柄本明、ベンガルらと「劇団東京乾電池」を結成。サラリーマン生活を捨て、再び劇団の世界へ入ったものの、当初は売れず。妻子を養うために「警察に捕まるようなこと以外の職は、一通りやった」と本人は語っている。
テレビデビューは32歳の時で、『笑点』にてコントを披露した。その後、柄本、ベンガルらと共に『笑ってる場合ですよ!』に出演し、番組内コーナー「日刊乾電池ニュース」で土用波三助と称して出演し一躍知名度を上げる。劇団を離れた後は、主にテレビ番組出演に活動の場を移す。
1980年代後半から中京テレビでの出演が増え、1992年からはレギュラー番組を継続して持つようになり。名古屋地区での人気が他地域より高いようで、キリンビールやアサヒビールなどのCMを始め、中京テレビの多くの特番などにも出演するようになった。
1985年1月、34歳でテレビドラマ毎度おさわがせします(TBS)に出演する。
1988年に出演した中外製薬「グロンサン」(現在はライオンから発売)のCMが話題になり、CMのキャッチコピー「5時から男」で新語・流行語大賞の「流行語部門・大衆賞」を受賞した。
1990年代には、『象印クイズヒントでピント』、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』(「純次ダンス」をよくやっていた。後述)、『マジカル頭脳パワー!!』など多くのクイズ番組に解答者として出演。『どうぶつ奇想天外!』においては、レギュラー解答者として1993年10月の放送開始から2008年秋までの長きに渡って出演していた。
2000年代に入り、還暦を過ぎた今でもその特異なキャラクターでバラエティ、ドラマなど数多くのテレビ番組に出演している。
芸能人として
- 本業は俳優だがコメディアンとしての側面が強い。各方面から「平成の無責任男」「芸能界一いい加減な男」「元祖テキトー男」などと称される。とりわけバラエティ番組では、“何も考えていないような”その芸風で共演するタレントたちを戸惑わせる。
- 俳優として映画・ドラマへの出演もしており、主人公の父親・夫役などで重要な役柄を演じることも多くなっており、その際には、バラエティで見せる軽妙さとは一転し、劇団出身の役者らしい演技を見せている。
- プレイステーションのゲーム『ユーラシアエクスプレス殺人事件』でも、終始真面目な列車車掌(重要な役)を好演
- 下ネタが大好きだが、独特の言い回しや自身が醸し出す雰囲気のためかセクハラと捉えられる傾向は少ない模様。ただし、OAでは大抵「ピー音」などでマスキングされている。かなり露骨なことを男女問わず共演者に言ったり、ナンパの際にもダンディな口調で暗にアタックするテクニックは絶品だという声も高い。また、自らも体を張って奇抜な格好をしたり、下着を脱ぐなどその年齢と芸歴をものともしない大胆な行動も得意とする。
- 広げた右手の親指をおでこの前に持っていき、左手は後ろに伸ばし、右の手のひらを「ヒラヒラ」させながら、ロデオの馬のように激しく足をバタバタさせてくるくる回る「純次ダンス」が得意技。他、前かがみになり両手を前に出して手指をヒラヒラさせ、ピコピコと後進する場面も多い。渡辺正行はこの行動に関して「あれは喜びを表現しております」と、解説している。
- 番組収録中に意味もなく脱ぐことでも有名だが、ほぼお蔵入りになる。
- ひとしきりしゃべった後、他の出演者と全く絡まずにボーッとしていることがあり、この状態を「高田電池切れ」と言う。このために「充電」と称して、収録中であるにもかかわらずスタジオを退室してしまうことがある。
- 戦場と言われる『踊る!さんま御殿!!』で、電池切れになって本番中に寝ていたことがある。さらに、『快傑熟女!心配ご無用』では、パネラーのやりとりの最中に居眠りをしていたところを和田アキ子に突っ込まれている。
- トーク・バラエティ番組の冒頭場面(いわゆるつかみ・フリの部分)で唐突に話し始め、番組進行を脱線させる。明石家さんまは「純ちゃんの話は足踏みトークなんですよ」と評している。しかし、さんま自身もこの類いのネタを高田に期待している部分もある。
- 一方で『金子柱憲・高田純次ゴルフの王道』の収録では終始真面目にゴルフをしており、エンディングのトークコーナーでも余計なことは言わない。だが、番組で共演している金子柱憲プロに関しては、よく他の番組で悪口を言っている。
私生活
- 子供の頃は近所の人たちから神童と呼ばれていたと言われ、 中学時代までは成績はトップクラスであったという。事実現在でもテレビやラジオでの言動を見聞していると、無茶苦茶をしている中にもある種の「頭の回転の 良さ・豊富な知識」を垣間見ることが出来る。しかしながら本人はいつもの調子で「『シンドウ』って言っても、震える方の『振動』じゃないよ」と、煙に巻き 周囲を笑わせてしまう。
- 高校時代のあだ名は「国領のニワトリ」。
- 夫人との間に二女がおり、1983年には花王のCMで一家揃って出演した。長女は「TAGE」(タージュ)のデザイナー、二女はアルバイトをしながら美術活動(銅版画作家)をしていると話している。また孫もいる。
- 自動車好きとしても有名。現在はアストンマーチン・DB9を所有。またフォルクスワーゲン・トゥアレグW12に乗っているとも話している。そして「時速800kmで衝突した」と話す。
- ダイヤモンド鑑定士の資格を持つ。そのためダイヤモンドなどの宝石の価値、デザイン、原価・販売価格に関して「高田節」を交えつつ、バラエティ番組などでは一定ラインの評価を得ている。
- 還暦を迎えたが、とても還暦過ぎとは思えないほどの外見と若さを保っている。故に外見だけは若い女性からの受けが良い。
- 芸能プロダクションの経営者でもある。一時所属タレントであった麻木久仁子によると、普段はテレビに出ているのと変わらないが、年に一回のギャラ交渉のときだけは一切冗談も言わず、目も笑っていないという。
- 『多摩川』が本人のパワースポットであり、少年期に遊んだ経験から、人生を見つめ直す今日を語るにあたり「多摩川べりへ行って…」などと述懐することが多い。
- 尊敬する人物は高田が出演していた『どうぶつ奇想天外!』の司会者みのもんた。理由は高田曰く「飲みに行くと必ず奢ってくれるから」。高田の交友関係で、みのの名前がよく出る事から、お互いに最高の友人と認め合っている。
- 横尾忠則を『神』と崇めて尊敬している。又近年では『キタムラ』のメンズバッグのロゴマークデザインを依頼されるなど、芸術面に関する造詣の深さを変わらず持ち続けている一面も見せている。
- 口癖は「〜ですよね」「いや意外と」「だって〜だから」「すっとこどっこい」「グフッ」「とんちんかん」「あらオシャレだねぇ」など。
- 高田と同世代から20歳代の若者までの男性から「高田さんみたいな生き方に憧れる」「高田さんみたいに歳をとれたら最高だ」と言われることが多 い。「単に奇抜な格好をしたり適当なことを言っているだけの人」とは思われていない人柄、幅広い人々から愛される生き方をするタイプである。
- 1970年代に、当時高校生の小川菜摘をナンパしたことがある。
- 過去にたまたまナンパした相手が娘の同級生だったことがある。
- 企業の宴会に呼ばれたとき、異常な盛り上がり方をしていた宴会を見て「俺、やることないから後は適当に…」と宴会の幹事に告げ、営業を適当に済ませたことがある。